行間にこそ真実は宿る

最近よく思うことがあるんですよ。
――会話とか言葉って、「行間」にこそ真実が宿るなって。

人が何かを言ったとき、
もちろんその言葉自体も大切なんだけど、
「なぜその言葉が生まれてきたのか」っていう背景のほうが、
実はもっと大事なんじゃないかと思うんです。

特に大人同士の会話になると、
その一言の裏に、それぞれの日々とか関係性とか経験とか事情が滲んでいたりする。

たとえば――
「この人、話しやすいな」と感じるときもあれば、
「なんか伝わってない気がするな」と思うときもある。
会話がスムーズに進むときもあれば、どこか論点がズレるときもある。

でもそれって、
言葉や会話そのものよりも“行間で理解し合えているかどうか”
――そこに左右されている気がするんですよね。
理解までいかなくても、「行間を意識できているかどうか」。
そこに差が出るのかもしれない。

恋人や親友、結婚相手のように身近で居心地の良い人との会話って、
内容そのものよりも、
お互いの“行間”で分かり合っているからこそ心地いいのかも。
…いや、単に価値観が合うってことなのかもしれないけど(笑)

うまくまとまらないブログになりそうだからこの辺でやめておきましょう。
(こういうとき、書き手の行間が一番読みにくいかもですねw)

なんとなくね、
誰かと話すときに、言葉の行間をちょっと意識してみると、
もっと素敵な会話とか、より深いコミュニケーションができるのかもなと。
最近、人と打ち合わせしたり話したりする中で、そんなことを思うんです。

そういえば思い出した!
かなり昔――GLASS TOPの「recovery」という曲の原型があって、
アレンジも歌詞も今とは違う初期バージョンを眠らせてたの。

その初期バージョンの歌い出し、
“言葉の終わりを急かすより 言葉の間に挟んでる”
って歌詞だったんですよ。

でもリアレンジの際、
当時の関係者に「意味が分からない」と言われてしまいw
結局書き換えたんですよね。

……つまり、
自分は昔から同じことを思ってたんじゃん!!

でも、ってことは――
このブログの内容も、もしかしたらあんまり共感してもらえないのかもしれないね(笑)

悲しみ。。

……でも、消すのも勿体ないから、、載せときます。
スルーして下さい(笑)

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