「おつかれ」と「ありがとう」

そういえば数ヶ月前の話なんだけど、
今年の2月11日、あがちんとヒーボーと一緒に、GLASS TOPファイナルのお疲れ様会をやったんです。

ライブ当日の終演後はバタバタで、一緒に打ち上げもできなかったから、
「日を改めてやろう」ってことになってて。
今年の2月、僕はちょうど新潟への一人旅の帰り道で、あがちんは群馬から、ヒーボーは栃木から、それぞれ大宮で合流して。

二人がGLASS TOPを離れたのは、2012年のはじめ。
当時の僕はショックで、ちゃんと受け止めきれてなかった。
そのまま卒業ライブをやって、そこから数年間は連絡も取らないままだったと思う。

随分と時間が経って、ある集まりで再会して。
そのとき、初めて心の中で整理がついたというか、気持ちがフラットになれた気がした。
昔は「メンバー」だったけど、その再会でようやく「親友以上の仲間」になれたように思えた。

GLASS TOPの20周年企画は、その2年くらい前からぼんやり考えてた。
節目になる年だし、きっと自分にとっても大きな転換点になるだろうって思ってて。
だからその1年半くらい前に二人と群馬で会って、「何か一緒にやれたらいいね」って話をしていた。

最終的に、活動終了という形になって、二人のゲスト参加の意味合いは想像以上に大きくなったけど、
ファイナル公演に出てもらえたのは、本当に良かったと心から思う。

不思議なもので、
あまりに近くにいると「おつかれ」も「ありがとう」も言えなくなる。
僕の悪い癖かもしれないけど、身近な人にほど言葉が出てこなくなる。

昔、二人と一緒に活動していた頃は、一緒にいるのが当たり前で、感謝しているのも当たり前。
だから、それをわざわざ言葉にすることもなかった。

でも今は自然と、言葉にできるようになった。
ただ、言葉を発するたび、文字を打つたび、どこかで“だからこそ距離を意識してしまう”自分もいる。
ややこしい感覚だし、伝わりづらいかもしれないけど。
それでも今、心から「最高の仲間」だと思えてる。それが何よりの幸せ。

そんな二人に出会えたこと自体が、奇跡。
これからの人生、きっとまた新しい形で、絆を築いていけるんだと思う。


もちろん、憲治も含めてが「本来の形」。
でもこの数年、いろいろあったから、今それを語ることはない。

僕らは、あのステージの上で本当に別れたっきり。
この先、もう会うことはないかもしれない。
もしくは、何かのきっかけでまた繋がるかもしれない。

ただ一つ、言えること。
僕は心から、憲治のこれからの活躍を願ってる。
才能は間違いないし、人から愛される人間性もある。
それは誰よりも近くで僕は見てきたから。

だから、憲治には憲治の道を歩んでほしいし、
「2024年がきっかけだった」と、そう思ってくれたら嬉しい。
もちろん、それは僕も同じ。
あの出来事があったからこそ、とポジティブに言える未来を作っていけたらいい。


日付が変わって今日。
GLASS TOP FINAL公演『新世界』のライブ映像、試写会を開催します。

正直、今年になってGLASS TOPという名前をまた口にすることになるとは思ってなかった。
少し不思議な気持ちもあるけど、でも今はこの「アフター」をちゃんと楽しみたい。
この半年で、自分自身の心もしっかりリフレッシュできたし、
少し寂しさはあるけど、でも「本当に良い思い出」として思える。

本当に、あの日に全部ぶつけた。
後悔はない。だから、心は晴れやか。
それを“映像”として残せたことにも、感謝してる。

ライブ映像は、来月オンライン販売の予定。
それまでは、もう少し事務作業が残ってるけど。
たぶん、僕が「GLASS TOP」という名前を自分の声で言うのは、明日が本当に最後になるんだと思う。

FINAL公演は、それを実現するために、全力だった。
だから今日は、心穏やかに、改めての卒業祝いになるかな。


僕は僕の道を歩いていきます。
今はまだ「おつかれ」や「ありがとう」を直接は言えないままだけど。
いつか、ちゃんと面と向かって言える日があるのかもしれない。

未来のことは分からないけど、
それぞれがそれぞれの人生をちゃんと歩いていけたら、
いつか全部を愛せる日が来ると思う。

それは、あがちんとヒーボーが教えてくれたこと。

人生は、まだまだ続いていく。
遠い未来、4人でまた打ち上げできたなら、それは最高だよな。
その時は――
満面の笑みで、憲治に直接「おつかれ」と「ありがとう」を言うよ。

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