以前、同業の仲間にこう言われたことがある。
「俺たち、エンタメ中毒に侵されてるんだよ」って。
ステージがあれば、その大小に関係なく、必ず緊張する。
不安、興奮、高揚。
いろんな混ざり合う感情を抱えて本番に挑む。
そして終われば、一気に緊張が解ける。
そのあとに飲むビールが、やたらと美味い。
つまり僕らは、わざわざ自分を緊張させて、
その解放に酔いしれるというサイクルを、無意識に繰り返してる。
「緊張と緩和」
その振り幅こそが快感になってる。
それが、エンタメ中毒ってやつ。
確かに思い当たる節はある。
昔なんて、ライブ後の打ち上げはほぼ毎回朝までだった。
ライブの本番より、打ち上げの時間のほうが長いことも普通にあった。
「打ち上げのためにライブやってるんじゃないか」って冗談も、冗談じゃなかった。
今思えば、完全に中毒者の振る舞いだね。
大きなステージで緊張するのは、まあ当然ではあるけど、
小さなステージでも、たとえばアコースティックのライブでも、
本番直前って心拍数が一気に上がる。
その感覚が“気持ちいい”とか“癖になる”って認識はしてなかったけど、
気づかぬうちに、実はそれを求めていたのかもしれない。
今月末、案件で久々にちょっとした緊張感のあるステージに立つ。
ちゃんと“ステージ”と感じる場に立つのは、昨年11月以来。
半年ちょっとぶりか。
またあのエンタメ中毒の虫が目を覚ますのかもしれない。
そのことがきっかけでまた表舞台で活動しようと思うのかもしれない。
べつに、そのルーティンが“良い”とも“悪い”とも思っていない。
でも、人間って全部が変わらなきゃいけないわけでもないし、
変わらなくていい部分だって、あるんじゃないかとも思ったりする。
もちろん、すべてのミュージシャンがそうってわけじゃない。
最近の若いアーティストはあまりお酒を飲まないし、
打ち上げ自体も昔より圧倒的に減った。
女性シンガーなんかは特に飲まない人も多い。
そういう人たち、すごいなって思う。
どうやってあの緊張と緩和のバランス取ってるんだろう。
実はちょっと憧れたりもするんだけどね、密かに。
自分にとっての“エンタメ”が、
他の人にとっては“仕事”だったり、“スポーツ”だったり、“子育て”だったり。
何かしら、自分をちょっと追い込んで、乗り越えて、
そのあとに味わう“何か”を求めてる人って、多い気もする。
日常って、案外緊張する場面が少ない。
平穏もいいけど、刺激がなさすぎると、
それはそれで物足りなくなったりもする。
エンタメ中毒。
法に触れるわけでもないし、
誰かを傷つけるわけでもない。
だったら、認めてしまうってのも良いのかも??