ニュースで思い出した、あの日の“終わり方”

嵐が「活動終了」を発表したというニュースを見て、昨年、自分が下した決断のことを思い出した。

先に言っておくと、もちろん規模は比べものにならないし、比較してどうこう言いたいわけではない。
ただ、活動終了」という言葉の選び方が印象的だった。

自分も、昨年GLASS TOPの“終わり”を発表するにあたり、「解散」ではなく「活動終了」という言葉を選んだ。
きっと人によっては、どちらも同じに映るかもしれない。
でも、自分の中ではまったく違う意味を持っていた。

「解散」という言い方には、どこか寂しさや、これまでの歩みをリセットしてしまうような響きがある。
まるで、すべてをなかったことにするような感じがしてしまう。
たしかに、活動は終わる。
でも、それはあくまで“音楽活動”が終わるというだけで、
そこにあった絆や尊敬、思い出や感謝が消えるわけじゃない。
むしろ、それらを大切にしたかった。
だからこそ、自分は「活動終了」と言いたかった。

気づいてくれていたかは分からないけれど、自分は一度も「解散」という言葉を使わなかった。
もちろん、周りの仲間はふつうに「解散かぁ」とか「解散、お疲れ」と言ってきたし、そのことには特に触れず受け取っていた。
否定したいわけじゃないし、訂正してほしいわけでもない。腹が立ったこともない。
でも、ほんの少しだけ、心のどこかで気になっていたのも事実。

そしてもうひとつ。
今回のニュースで「来年に最後のツアーを予定」とあった。
それを見て、GLASS TOPのFINALツアーやFINAL公演のことが重なった。
ちゃんと終わらせること。
それは、関わってくれた人たちへの誠実な向き合い方だと、自分は信じていた。

正直、GLASS TOPの最後の数年は勢いもなかったし、コロナもあった。
最後の活動を大々的に掲げても、無関心の方が多いんじゃないかとも思っていた。
それでも、ほんの少しでも触れてもらえたら、その時に少しでも思い出してもらえたら、
僕らと出会ったことや、それにちなんで誰かにとっての日々が確かに在ったこと、
それぞれの日々の一部として思い出のどこかに残ってくれたら、
そんな風に願っていた。

素敵な終わり方なんて、たいていの場合はない。
気持ちが萎んでいくのと一緒に、自然と消えていくことが多い。
でも、できることがまだ残っているなら、自分は最後まで抗いたかった。
美しく散りたかった

それが、自分にとっての「活動を終了する」ということだった。
きちんとお別れができれば、それぞれがそれぞれに、また旅立っていけると思っていた。

だからやっぱり、自分の中で「解散」と「活動終了」は、大きく違っていた。


ひとつ気になったことがある。
Yahoo!ニュースで“嵐、解散”と見出しに書かれていた。
でも、本人たちは「活動終了」と発表している。
それなのに、メディアが勝手に「解散」と書いてしまうのは、如何なものかと思った。

特に、大手のメディア、文字を扱う媒体として、それはあまりにも雑じゃないか。
その言葉ひとつに込められた想いや、ファンへの誠実さが伝わらなくなってしまう。
ちょっとしたことかもしれないけど、すごく気になったし、少しだけ憤りも感じた。


今回のことは、昨年ずっと心の中で思っていたけれど、あえて表には出してこなかった。
言うつもりもなかった。

でも、今回のニュースを見て、いろんなことが自分の中でリンクして。
今さらながらだけど、あの日の“終わり方”について、書いてみました。

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