最近、世の中って「最適解ブーム」だなって思うんです。
社会もスポーツも、評論家たちがあらゆる角度から分析して、答えを導き出していく。
SNSやメディアの自由度も増して、理屈として「正しいこと」がすぐに共有されていく。
いつの間にか、“最適解こそ正義”みたいな空気が広がっている気がします。
もちろん、僕もそれが便利だし、良いことだと思ってる一人。
現金を持たずスマホだけで生活できる今の暮らしには、正直もう戻れないと思うし、
社会全体が効率化を目指して進化してきた結果だと、理解しています。
ただ、
「それだけで、本当に良いのかな?」と、時々思うことがある。
たとえば芸術とか、人間関係って、そんなに単純じゃない。
“正しさ”や“効率”じゃ説明できない部分にこそ、感動があったりする。
僕はスポーツ観戦が好きで、サッカーやテニスをよく観ます。
ハイライトだけ見るとスーパープレイの連続だけど、
実際に試合を通して観ると、ミスだらけなんですよね。
大谷翔平でさえ、打撃では7割も失敗する。
だからこそ、その「成功の瞬間」に心が惹きつけられる。
特にテニスは“メンタルのスポーツ”で、
プレイを超えて、選手の人間性そのものが浮き彫りになる場面が多い。
気づけば、僕はプレイじゃなく“ヒューマンドラマ”を観ている気分になるんです。
人間は、いつも最適解でいられるわけじゃない。
むしろ、うまくいかないこと、思い通りにならないことにこそ、
人としての“美しさ”が滲む気がする。
これからも社会は加速して、ますます「最適解」を求めるでしょう。
その恩恵は僕も受け取りたい。どんどん活用していくつもり。
でも、だからこそ。
時に不器用で、熱くて、面倒くさくて良い。
特に“愛”は、最適解にはなりきれないものだから。
愛は遠回りで、非効率で、しんどいもの。
それでも、何よりも大切なもの。
便利はいい。効率もいい。最適解もいい。
でも、愛だけは無くしたくない。
そして愛には、きっと“覚悟”が必要。
人間だから、覚悟してやったって、うまくいかないことはある。
それでも、やる価値はある。
だから、
最適解に抗え。
一つに収束するだけじゃつまんねーぞ。
今、自分でもいろんな準備をしながら、
最適解を取り入れつつも、自分だけのオリジナルを模索している最中です。
音楽が全てじゃないと思いながらも、
やっぱり音楽が好きなんだなと改めて気づいたりもして。
過去に自分で決めつけた“自分像”を壊したくなったり、
それでも、大切にしたい“自分なりのブランド”があったり。
そんな相反する気持ちと向き合っています。
今は、とにかくトライアンドエラーでいく。
世の中の最適解と、自分にとっての最適解は、たぶん違うから。
自信を持って「これが自分だ」と言えるものを見つけます。
だから、変なことやってたら、
「なんかやってるな」くらいで、
見守ってくれたら嬉しいです。
そして近いうち、
“僕と呼べるもの”を、ちゃんと形にします。
必ず。